映画・テレビ

2008年10月19日 (日)

秋真っ只中

 即日更新。

 日記と言いながら、週刊になっていますね。このブログ。お許しを。

 まあ、今日もいいお天気で、日中は暖かい、暑い陽気でした。出掛けるには、本当にいい季節になりましたね。天気もここのところいいですからね。

 さて、ある人から聞いた話ですが、人間毎日生きていて、例え小さな事でも、いいことがあれば、それを書き留めておく、ああこの日はこんなことがあったなと。例えば、自分のことでなくても、親切な場面に遭遇したら、それを書き留めていく。そうした小さな積み重ねの結果、人は辛い事があったり、悲しい事があっても、その中で小さな希望の積み重ねがのちのち生きてきて、明るく生きられると。

 生き辛いこの昨今、そういう気持ちって大事にしたいですよね。

 一度自分も、皆さんも試してみて下さい。

 昨日、映画「おくりびと」を観ました。納棺師のお仕事のお話でしたが、納棺師って普通の仕事ではないのでしょうか。人が働き、稼いで、生活していくために、「普通の仕事」に就く、その「普通」っていうのは一体どんなもので、どんな基準なのでしょうか。

 よく子どもたちに「夢を持ちなさい」と大人はいう。そして実際努力して大人になり、自分の夢を叶えて、子どもからも大人からも憧れる職業に就けたとしよう。

 しかし、憧れない、「普通」じゃない仕事に就いた人は、不幸かと言えば、そうではないと思う。納棺師とは、映画を見る限り、人生の旅立ちを少しでも安らかに綺麗に亡くなった人を清め、遺族の人たちの気持ちの整理、静寂をもたらす大事な時間だと思うし、そういう仕事が特別であっても、「普通」ではないことはない仕事だと思う。人にとって必要な仕事であると思う。

 社会に役立つ仕事が普通の仕事だと思う。憧れられる仕事だけが立派でも普通の仕事でもない。夢を実現することが大事かはよく判っているが、こうした社会に必要とされている仕事もまた普通の仕事である。

 普通の仕事に就く、普通の人と付き合う、結婚する、普通の家庭に育つ。本当にこの「普通」の基準が勝ち組、負け組と言った言葉以上に、排他的で、格差のある言葉があるのかと思う。

 子どもが憧れる仕事は立派だと思う。それ以上に社会で必要とされる地味な仕事もまた立派であり、普通の仕事であると思う。

 「普通」という言葉に敢えて、危惧をしてしまった。

 映画を観てそう思った。

 ということで、今日はこれにて。

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